ShizuBunWalk

静岡文化財うぉーく。略して「しずぶんうぉーく」!

はじめに~このブログについて~

みなさんこんにちは!

このブログは静岡の文化財について、若者(自称)目線で紹介します!

文化財単体の情報だけでなく、周りを含めた散策マップも掲載(予定)!
静岡旅行の方や、地元の方にも活用頂けるように努めてまいります!

面白い文化財などありましたら、タレコミ待ってます!


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現在は3名で運営しております。
それぞれ、好きな時代やジャンルこそ違えど歴史好き(多分)。
大学の休みが暇すぎて、自分達でできることを探しこの活動に至ります。


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shizubunwalk.hatenablog.jp

 

shizubunwalk.hatenablog.jp

 

 

「蒲原宿」をより楽しむためのちょっと細かいお話!

この記事は、積極的に外出しようと促すものではありません。
新型コロナウイルスが収まったら、ぜひ足を運んでみてください。

 

こんにちは!

コロナウイルスの影響でサボり気味になってしまいましたが、14日には緊急事態宣言が解除されたため新しい生活様式に則りながら活動を再開していきたいと思います!

さて、今回は私たちの初めての記事である「蒲原宿」をより楽しむための細かいお話をしていきたいと思います!

 

shizubunwalk.hatenablog.jp

 

文字ばかりになってしまいますが、読んでいただければより「蒲原宿」が楽しめるようになると思います!

 

1,蒲原の立地・地形について

蒲原という町は、静岡市の最東、富士市の最西といえる場所にあります。
北は山、南は駿河湾に挟まれているため、大変自然豊かな場所ではありますが、同時に平野の面積は少なく、横に細長いのが特徴です。
また、時代が200年も300年も昔となれば、富士川は今のような位置ではなく、もっと蒲原寄りのところにありました。
この点から、蒲原は川沿いの街とも言えたでしょう。
蒲原にとってこの富士川の存在というのが極めて重要でした。

 

2,富士川安政の大地震

先にも述べたように蒲原は以前、富士川の川沿いの街でした。
そのため、発生しうる災害で最も人々を苦しめたのが、水害つまり河川の氾濫です。
蒲原には「水神さん」と町民たちから親しまれる神社が存在します。
まさに、水害が蒲原の人たちを苦しめていた要因であるという大きな証拠になるといえるでしょう。
しかし、ここで蒲原の立地・地形に大きな変遷をもたらす出来事が起きます。
それが、1855年安政の大地震です。
この地震で全国各地に莫大な被災がもたらされ、蒲原もその例外ではありませんでした。
しかしこれにより、蒲原は大きな地形的メリットも授かりました。
安政の大地震によって、土地が隆起したのです。

これは静岡市の防災情報マップを見てもらえると、とてもわかります。すぐ前に海があるのに海抜が5mを超えています。
このことで蒲原は富士川の氾濫による水害を免れるようになりました。
人々はこれを相当うれしがったようです。
当時の書物の中に自信を期待する人々がいたと記されているというのは驚きですよね!
これ以後の蒲原の近代における、工業的発展にもこの出来事は"立地の安定"を確保したという点で恩恵を与えたといえるのではないでしょうか。

 

3,蒲原の歴史(江戸まで)

そろそろ一般的な"歴史"の話に入るとしましょう。
蒲原の歴史を語るうえで欠かせないのが東海道五十三次」の十五番目の宿場町としての役割でしょう。
しかしその前に、それ以前、つまりは江戸時代以前の歴史について軽く触れておこうと思います。
そもそも蒲原という街は、富士川の川沿いであったという点から、まさに「東西の要衝」であったといえます。
特にこれは、戦国時代に顕著でした。
北条、今川、武田そして時代を追っての家康、数々の名将たちがこの蒲原を抑えようとしていたのです。
とくに有名な抗争の一つが"河東の乱"です。
これは今川、北条、武田によるこの周辺における勢力争いです。
この乱は、三度も発生し、三者取った、取られたを繰り返しました。
蒲原には当時、蒲原城という山城がありました。
そこの城主は、初めは北条、そして武田となり、最終的には織田・徳川になり廃城となりました。
まさに、この要衝"蒲原"を象徴する事実といっても過言ではないでしょう。

さて、蒲原の江戸の歴史、つまり「蒲原宿」について見ていきたいと思います。
というものの、蒲原が宿場町となったのは、江戸時代が初めてではありません。
それより以前の鎌倉時代には、宿場町となっていたようです。先にも述べたように、東西の要衝となる地域だけあって、大変人の行き来は多かったようです。
そのため、往来する人々が蒲原で宿をとるということもありました。
この後、時代は移って江戸時代となり、東海道が設けられ、そこに正式な宿場町が整備されていきました。

 

4,蒲原の歴史(明治以降)

時は明治となり、「蒲原宿」はほかの村との合併がなされました。
これにより、「蒲原町」が成立しました。
蒲原町」となった蒲原では、産業が栄えていきます。
海では、サクラエビなどの海鮮を活かした漁業。
山では、みかん栽培や茶の生産などを主とした農業。
そして昭和となり、日本軽金属が招致され工業が発達しました。
この蒲原における工業の発達が蒲原にとっても、日本にとっても重要でありました。
皆さんご存じの東京タワーの塗装を手掛けたのは、蒲原の職人だったようです。
当時の最先端のものに蒲原の人が関わっていたと思うと、とても感慨深いですね!
蒲原という街は、現在の日本の礎を作った街の一つとも言えるのではないでしょうか。

 

5,まとめ

文字ばかりですみません!今回は蒲原の歴史について簡単にまとめてみました。
今回は文化財とは直接関係ないですが、蒲原の歴史を知ってもらうことでより蒲原宿歩きを、楽しいものにしてもらえたらなと思います。

日帰り観光にもってこい?!三島駅周辺を歩く!

この記事は、積極的に外出しようと促すものではありません。
新型コロナウイルスが収まったら、ぜひ足を運んでみてください。

 

今回は、有名所ではありますが三島駅周辺の文化財について紹介します!
東京からは新幹線を使って1時間、静岡市内からは鈍行で1時間程度と、日帰りで違う空気を楽しむには最適な場所です!

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三島駅

目次

 

ラーメン

散策といっても、お腹が減っては散策はできません。
散策した日は、「つけ麺混ぜそばショウザン」さんでお昼をいただきました。

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台湾まぜそば


このお店たった1000円でおいしい混ぜそば+ライスバーまでついてきます。
とても美味しいので、三島散策の際のお昼は是非ここで!

気を取り直して・・・

 

1,三嶋大社

 

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三嶋大社

三島といえば三嶋大社ですよね!
創建の時期は不明だそうですが、奈良時代の古書には記録があるようです。


奈良時代といったら、聖徳太子ですよね。日本に仏教が入ってきたころです。
こう聞くと、1つ前の古墳時代よりか幾分進歩したかな?と思われますが、農民の生活はあまり変わらなったようです。

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竪穴住居イラスト


つまり、一般の人はまだ竪穴住居に住み、せせこら農業をしている時代とあまり変わりません。
そんな時代から、記録に残るほどの神社です!絶対にご利益は間違いなし!

 

1-1,厳島神社

正面の鳥居をくぐると、すぐに目につくのは池に浮かぶお社でしょう。

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厳島神社

これは「厳島神社」といって、あの北条政子が勘定したといわれています。
祭ってあるのは、宗像三女神の一柱である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。
本地垂迹では、皆さんが馴染みの「弁財天」と同定された神様です。
ご利益としては、家門繁栄、商売繁盛、安産等があるようです。

 

1-2,総門

池を進んで行くと、次にくぐるのはこの総門です。

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三嶋大社総門

太いしめ縄と、どっしりとした重厚感のある屋根がとてもかっこいい!
建築中に伊豆震災にあったそうですが、昭和六年三月に竣功。
昭和の神社建築の代表的な、建物に数えられるくらい格調高いものだそうです。

 

1-3,神門

 総門もくぐり、中を歩いていくと…
神門という門がありますが写真を撮るのを忘れていました。申し訳ないです。
こちらは、総門と比べるとあっさりしています。しかし、そのあっさり具合が、心を浄化してくれるような気がします。

 

1-4,本殿

神門をくぐるとついに本殿が立つエリアになります。
本殿の前には舞殿がありますが、残念ながら工事中で何も見ることができませんでした…

気を取り直して本殿はこちら!!

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三嶋大社本殿

現在の建物は、江戸時代末期1854年安政東海地震の後に再建されたものです。
再建期間は10年もかかったそうです。
総工費は16,677両だそうです。
これを現在の貨幣価値に換算してみます!ここでは、日銀の博物館の資料を参考にお米の値段で換算します。
現在のお米の値段(ここでは「サトウのごはん200gx5パック」の値段を基にします)は約700円。
お米一石(150kg)が1両だったようなので、700(円)x150(kg)=105,000(円)
1両は約10.5万円だと考えると、総工費は現在のお金で約17.5億円のようです。
一般庶民の私たちには想像できませんね。
こんな大金を使って再建された本殿は立派そのものです。
写真では網がかかってしまっており、余計見づらくなっていますが、賽銭箱上の彫刻はとても力強く圧倒されます。
ぜひ実物を見てほしいです!

これ以外にも、たくさん紹介したいところはありますが三嶋大社はこれくらいに…
宝物館はJAFの会員証があればグループに割引が適用されるので、入ってみるといいかもしれません。
私はジオラマを見るのが好きなので、とても楽しめました!!

 

2,三島ゆかりの文豪たちを知る!三島 水辺の文学碑

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三島 水辺の文学碑


こちらは三嶋大社楽寿園の間にある、三嶋にゆかりのある文学者たちの文学碑です。
三島市出身の大岡信をはじめ、太宰治司馬遼太郎松尾芭蕉などの文学碑が桜川沿いに並んでいます。

2-1,太宰治

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太宰

太宰は昭和9年7月末から8月末の1か月間三島に滞在していたようです。
そこで書き上げたのが、小説「ロマネスク」です。

2-2,司馬遼太郎

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司馬

司馬は三島で遊んだ体験を、小説新潮1886年2月号に「裾野の水・三島泊一日の記」という文章にまとめています。

2-3,松尾芭蕉

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芭蕉

これは、芭蕉の紀行文である甲子吟行野ざらし紀行)に載っている歌です。
「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」意味は、「霧が深くて富士山が見えないけれど、心に富士山の姿を思い浮かべて見るのも面白いことだ」といった感じでしょうか。

2-4,大岡信

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大岡

こちらは、三島が日本に誇る作家である大岡信です。
2003年には文化勲章を受章しています。


3,駅近の自然!楽寿園

最後に紹介するのは、三島駅南口を降りてすぐの楽寿園です。
とにかく駅からめちゃくちゃ近いです。
中に、動物園やちょっとした遊園地のようなものもあります。家族連れで行くなら1日楽しめるんじゃないかと思います。
動物園もいいですが、ぜひ見てもらいたいのは三島市の郷土資料館です!(建物の写真撮るの忘れていました。すみません。)

 

3-1,1F企画展示「自然と生きる~水・竹・ワラ・石~」

訪問した日はちょうど「自然と生きる~水・竹・ワラ・石~」という企画展を行っていました。

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リュウ

リュウと呼ばれる、お葬式の時に使うものや

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弁天様

川底から見つかったという弁天様などが展示されていました。

やっぱ弁天様は宇賀弁天より普通の弁天様の方がお美しいですよね。私は改めてそう思いました。
そもそも宇賀神は、日本の"神"様なのでどうして弁天様と習合したのかも調べてみると面白そうです。
私の個人的な趣味はここらへんで置いておきましょう。

 

3-2,2F常設展示 三島の暮らし

この郷土資料館は全部で3階あり、2階に上がると

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2F常設展示①

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2F常設展示②

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2F常設展示③

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2F常設展示④

ちょっと昔の人々の生活道具などを見ることができます。
仕切りがないので、普通の博物館などでは見ることのできない距離でしっかりと観察することができます。
ご年配の方であれば懐かしいと感じ、私たちのような人生ペーペーからするとレトロ・モダンだと感じるのではないでしょうか。
古き良き時代の一端を少しでも体験できた感じがします。

 

3-3,3F常設展示 三島の成り立ち

3階に上がると

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3F常設展示①

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3F常設展示②

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3F常設展示③

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3F常設展示④

縄文時代から始まり、現在までの三島の歴史を年代別に紹介してありました。
個人的に気に入ったのは、東海道ジオラマです。混ぜそばを食べた後に、ここを歩いてー…など当時と現在を見比べることも出来ちゃいます。
とても見ごたえがある郷土資料館なので、ぜひ見に行ってみてください!

 

3-4,楽寿館

最後に、楽寿園の楽寿要素を紹介したいと思います!

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楽寿館と小浜池

こちらが、楽寿園の楽寿要素である「楽寿館」と小浜池になります。
楽寿館は、明治に小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう)の別邸として建てられました。
教科書で出てきた記憶はないですが、日清戦争の征清大総督にもなったようです。私がイメージする天皇とは違い、武闘派だったようです。
残念ながら楽寿館はコロナの影響で内部の見学はできませんでした。
中には、明治を代表する日本画家たちが、ふすま、格天井、杉板戸に装飾絵画を描いたようです。

 

まとめ

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映える写真撮りたいです

今回は、三島駅周辺を紹介しました。
如何でしたか?
もう少し足を伸ばせば、刀剣で有名な佐野美術館なども見ることができます。
ぜひ、三島へ足を運んでみてください!

静岡中部の玄関口!「蒲原宿」を歩く!

この記事は、積極的に外出しようと促すものではありません。
新型コロナウイルスが収まったら、ぜひ足を運んでみてください。
 

初回は、東海道で15番目の宿場である「蒲原宿」について紹介します!
富士川を越え、静岡市の最初の宿場です。
(このために、ミラーレス一眼を購入し当日に届いて当日に使ってます。もちろんカメラは初心者です。白飛びが凄いものがあります。すいません。)

 

目次

 


蒲原宿は、JR新蒲原駅が最寄り駅です。間違ってもJR蒲原駅で降りないようにしましょう。1区間ですが歩くのは大変です。
蒲原宿の始まりは、駅から少し離れているので頑張って歩きましょう。

 

1,蒲原宿東木戸

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蒲原宿東木戸


ここが、東京方面からの蒲原宿の始まりになります。蒲原宿東木戸。
木戸というのは、簡単に言ってしまうと字の通り木の戸です。こちらは、蒲原宿の東の入り口なので東木戸です。
現在は、常夜灯という今でいう街頭にあたるものが残されているのみです。
常夜灯の寂びれ具合が、歴史を感じさせてくれます。

2,なまこ壁と「塗り家造り」の家

外観の写真を撮ったつもりでいたら、撮れていませんでした。
なまこ壁というのは、このような感じの壁です。よく蔵に用いられている印象があります。

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なまこ壁イラスト

蒲原宿のなまこ壁の家は「佐野屋」という商家さんだったようです。

とても重厚感があり、ここだけ江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気でした。

 

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木の電柱

この、なまこ壁の家の隣の通路に1本だけ木の電線があります!
珍しいですよね?、タイムスリップ間違いなしです!

3,旅籠「和泉屋」

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旅籠「和泉屋」

ここが、国登録有形文化財のお休み処です。
江戸時代には旅籠「和泉屋」として利用されていたようです。
2階に見える櫛形の手すりや腕木などが、旅籠の面影を残しています。
お休み処は、自由に中に入ることができます。
中に入ると驚くのは、この階段です。(写真ボケててすいません。)

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和泉屋階段

普通に上がるのも大変です。しかし、ここは旅籠なので当時の従業員の方は、着物を着て、お膳を持ち、手すりを使わず階段を上がったそうです。
私には無理です。怖い。

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和泉屋雛祭り

丁度ひな祭りの時期だったのでお雛様が飾ってありました。
蒲原のひな祭りは、月遅れでやるそうなので4月3日までは確実に見ることができます。

4,旧五十嵐邸

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旧五十嵐邸

ここも、国登録有形文化財の旧五十嵐邸です。
ここは、故五十嵐準氏が歯科医院を開業するにあたり、もともとあった町屋を洋風に改築した建物になります。
なまこ壁の家とは一転、こちらはモダンな時代にタイムスリップさせてくれます。
中も無料で見学できます。

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旧五十嵐邸内部

外観はとてもモダンでしたが、中に入ると一転。日本らしい畳の部屋になります。
このギャップもとても面白いですよね。

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旧五十嵐邸2F

一見すると何の変哲もない窓の写真ですが、ある特徴が隠れています。わかりますか?
なんと、写っているガラスが手作りガラスなんです!
後ろのガラスを見てもらえると、反射が波打ってるのがわかると思います。
ぜひ実際に見て、明治のガラスを体感してください!

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旧五十嵐邸2F手術台

実際の歯科医部分ですが、現在は当時の手術台が飾ってあります。
当時の最先端が、100年経つとこのようになってしまう。諸行無常を感じますね。

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5,志田邸

 

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志田邸

ここも、国登録有形文化財の志田邸です。
残念ながら歩いた日は、閉まっており中の見学はできませんでした。
この建物は、安政の大地震の翌年に建てられて建物で「やま六」という屋号のお醤油屋さんだったようです。
中には、「東海道町民生活歴史館」があるようなので日を改めて私も伺かがいたいと思います。

6,蒲原宿西木戸

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蒲原宿西木戸

ここが、下り方面の蒲原宿の終点西木戸です。
昔は、この西木戸の近くに茄子屋という茶屋があったそうです。
その茶屋の前で、70人もなくなる乱闘があったようです。現在その面影を見ることはできませんが、たった400年前にそんなことがあったのかと思うとなんだかしみじみと感じます。


まとめ


今回は、静岡の中部地区の玄関口である「蒲原宿」を歩いてきました。
如何でしたか?今回紹介したもの以外にも、蒲原宿には歴史を感じさせてくれる色々な建物があります。
ぜひ皆さん歩いてみてください!

 

蒲原宿をもっと知りたい人のために、こちらもどうぞ!

 

shizubunwalk.hatenablog.jp

 

散策マップも鋭意製作中!